出エジプト記7章

私がエジプトの上に手を伸ばし、イスラエルの人々を彼らの中から導き出したとき、エジプト人は私が主であることを知るようになる。(5)

 「どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか」というモーセの問いはもっともだと思います。エジプトのファラオと言ったら、まさに神のように崇められ、とても大きな権力を握っています。富も権力も軍事力もみな彼のものと言ってもいいでしょう。そのファラオが自分が奴隷として使役しているイスラエル人を解放するようにと求めて聞くわけがない・・・しかも自分もファラオと対話できるような何者でもない。
 しかし、神はモーセを「ファラオに対して神とする」と語られます。まさに神の権威を与えられ、神の言葉を委ねられてファラオの前に立つのです。エジプトに次々に災いが臨もうとしていました。それは、まさにあり得ないことが起こり、エジプトの奴隷であったイスラエルの民が解放されるという出来事が起こることによって、エジプトの民もまた、「私は主」と語られる神がおられることを知るためだったのです。