「霊」とか「霊的」とか「スピリチュアル」という言葉に私たちは魅力を感じます。ともすると、肉体は罪深いものだけれど、霊は純粋できよいものだという、「霊」に対するあこがれ、または肉と霊とをあまりにも明確に二分してしまうような二元論が知らず知らずのうちに私たちにも影響を及ぼしているのかもしれません。最初の教会の時代のギリシャ世界にもそのような二元論は当たり前のように人々の中に受け入れられていました。そして肉は悪、霊は善と考える人たちは、霊であられる神が、人になって肉体をとってこの世に来てくださったことを否定するようになっていきます。
ヨハネは主イエスが肉体をとって来られたことを否定するような教え、またそのような知恵を与えるような霊は神からのものではないと明言します。主イエスは確かにまことの神であり、まことの人です。私たちを救うために人となってこの世に来てくださったのです。