ヤコブ5:1~6

あなたがたは、終りの時にいるのに、なお宝をたくわえている。(3)

 ヤコブはここで富んでいる人たちに神の裁きを告げます。実際には富は汚れたものではありませんし、富むこと自身は罪ではありません。富は聖書の中で神に従う者に与えられる祝福の一つとしても描かれていますし、イスラエルでも他の国々でも富は神に愛されている者であることの証拠とも考えられていました。
 神は私たちに必要な富を与え、そして、その富を私たちが正しく管理することを期待しておられます。ただ、富はしばしば私たちの内側にある罪・欲に働きかけて、私たちが人から奪うことによって富む者になったり、人を欺くことによって豊かになることを求めます。神は私たちが託された富を神の栄光のために、また隣り人を生かすために用いることを期待しておられるのに、自分を喜ばせることだけに富を用いるようになってしまいやすいのです。
 この地上でどんなに富んでいたとしても、天に宝を蓄えることをしないとしたらそれはとても残念なことです。時をわきまえ、神の恵みに富むお互いでありたいと思います。