ヘブル10:1~10

この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。(10)

 旧約の時代にイスラエルの民に与えられた律法は来るべきよいことの影を宿しているに過ぎませんでした。イスラエルの民は年ごとにいけにえをささげ、神に近づきましたが、正確に言うと、その動物のいけにえ自身が彼らをきよめたわけではありません。旧約の律法は影です。そして影はやがて来られる本体を指し示しています。動物のいけにえが彼らを全うしたのではないということは、彼らが罪の自覚がなくなるのではなく、ささげものを献げることがやむことがなかったことからも分かります。
 この動物の犠牲が本体ではなく、神が求めておられることがらの中心ではないことは旧約聖書の言葉からも明らかです。確かに神は動物の血を飲んで喜ばれるということはありません。影が指し示していた本体、真のかたちとはイエス・キリストでした。そしてこのキリストがただ一度ご自身をささげてくださったことにより、わたしたちはきよめられたのです。