ヘブル9:1~10

幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるのであり、しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる血をたずさえないで行くことはない。(7)

 旧約聖書の出エジプト記の後半には、幕屋の建設の記事がとても丁寧に記されています。またレビ記の前半にはささげものの規定が書かれています。いずれも21世紀の日本に生きている私たちにとってはあまり面白く思えない箇所かもしれません。ただ、これらが新約聖書の主イエスを指し示しているのだということが分かってくると、新約聖書を理解するとても大きな助けになることでしょう。
 幕屋には聖所があって、聖所の奥には幕で仕切られた至聖所がありました。そこには神の臨在をあらわす神の箱(「契約の箱」とも言われます)が置かれていました。至聖所は大祭司が年に一度だけ動物の血を携えて入っていきました。罪を犯した人間は、あがないの血なしに神に近づくことはできなかったのです。そこで携え行かれる血は、大祭司が至聖所に入るためには必要でしたが、人々の良心をきよめることはできませんでした。そのためには主イエスの血が必要だったのです。