ヘブル4:1~7

というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。(2)

 神はイスラエルの民をそのすばらしい安息に導き入れようとしておられました。それは神の約束であり、神のすばらしい福音でした。しかし、彼らは神の安息に入ることができませんでした。それは不信仰のゆえに神の約束を信じることを拒んだからです。聞いた御言が信仰によって結びつけられなかったからです。
 現実に目をつぶり、無視するようにということではありません。私たちは現実を直視すべきです。しかし、現実を見てどのようにそれを解釈するかというときに、不信仰によって現実を見るのではなく、信仰によって現実を見ることが大切です。イスラエルの民は現実を見たから恐れたのではありません。現実を見た時に、約束を守られる目に見えない神の真実を疑い、目に見える現実だけで判断をしたのです。
 モーセの時代、イスラエルの民は安息の地に入ることができませんでした。しかし、神はあらためて「きょう」、御声を聞いたら信じ、従うようにと招いておられるのです。