テトス3:1~15

これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。(7)

パウロはクレテにある教会の信徒たちがただ主の前に聖なる者として生きるだけでなく、それが人々の中にあってよい証しとなることを願っています。パウロは主イエスと出会う前の彼らの姿を「無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまな情欲と快楽との奴隷となり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互いに憎み合っていた」と言います。もちろん、それはクレテの人々だけでなく、パウロもテトスもそうだったのです。私たちもまたそうです。
 しかし、主イエスと出会ったときに、私たちは聖霊によって新たにされ、救われました。私たちは義とされ、永遠のいのちを望み、御国を継ぐ者とされたのです。私たちは何と大きな恵みに生かされていることでしょうか。ですから、私たちは、以前の罪に従う生き方を続けることができるはずはありません。私たちは聖霊を豊かに注がれ、恵みに生きる者とされたからです。