やがて私たちの地上の生涯は終わります。または主の再臨の方が先に来るかもしれません。いずれにしても私たちはやがて主の御前に立つことになります。そのことを思いながらパウロは厳粛な思いでテモテに命じます。「御言を宣べ伝えなさい」。そしてパウロは言います。「時が良くても悪くても」。私たちはタイミングがいいとか悪いとか言います。そしていろいろ考えながら、御言を伝えない言い訳をします。しかし、御言を伝えない方がよい時などありません。
パウロはこのところで、主の前に立つ時が怖いから、御言を宣べ伝えるようにと勧めているのではありません。それは豊かな報いを私たちにもたらすものだからです。パウロはすでに殉教を覚悟しています。パウロは、自分はりっぱに戦い抜き、走りつくし、守りとおした、と言います。そして義の冠が自分を待っていると確信しています。主は私たちのためにも冠を用意していてくださいます。