ここでパウロは奴隷について語ります。この時代、多くの仕事は奴隷の働きによって支えられていました。そして奴隷にとっても主人の下で働くことによってその生活が成り立っていたと言えます。確かに奴隷は主人の所有であり、自由が制限されていましたが、よい主人の下で働く奴隷たちは自分の身分をある意味、前向きに受けとめていました。
そして、教会の中には自由人だけではなく、奴隷の立場の人たちも加わっていました。そして教会では奴隷も自由人もなく同じ兄弟姉妹として主を礼拝していました。それはまさに美しい愛の交わりでしたし、また主イエスの救いが何をもたらすのかを力強く語っていたと思います。ただ中には主人が主にある兄弟であるということのゆえに、仕事の場面でも馴れ馴れしくなったり、横柄な態度をとる奴隷たちがいたのでしょう。パウロはそんな奴隷たちに主人を敬い、ますます励んで仕えるようにと勧めるのです。