Ⅰテサロニケ5:1~11

キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。(10)

 主イエスはいつ再臨されるのでしょうか。それはテサロニケの人たちにとってもとても大きな関心事でした。ただ、それは主イエスもまた「その日その時は誰も知らない」とおっしゃっていたことがらです。それは神だけが知っておられることです。ただ分かっていることがあります。その日は多くの人たちにとって「突然」やって来るということです。だから私たちはいつも目を覚まして、いつ主がおいでになっても喜んでお迎えできるように備えているべきです。
 もちろん、「いつも目を覚まして」というのは全く睡眠しないということではありません。私たちは主に信頼して休みます。しかし、私たちはさめていても眠っていても、主と共に生きます。それは昼も夜もというだけでなく、この地上の歩みをしている間も、またこの地上の歩みを終えて休むその日にも、ということです。私たちはいつも主といっしょです。そのためにキリストは死なれたのです。