私たちの信仰は、信仰の決断としての出発点を持つと共に、日々の歩みという側面を持っています。信仰に歩み続けるということが大切です。その一歩一歩は小さかったとしても、小さな一歩の積み重ねは一年二年となっていくときに大きな違いをもたらしていきます。
私たちは、神をお喜ばせする歩みをするべきです。神が願い、喜んでくださるのは、私たちが清くなることです。私たちは、この世とは違う生き方をすべきです。テサロニケの町でも、主を知らない人たちの多くは、不品行にふけり、情欲のままに歩んでいました。当たり前のように性的な乱れが横行し、人をだましたり、踏みつけたりということが行われていました。
しかし、主イエスを信じた者はそのような生き方を続けていてはいけなかったのです。神はテサロニケの人たちが汚れの中に生き続けることではなく、清く正しい歩みをすることを願っておられました。そして、テサロニケのキリスト者たちの中にも住んでおられる聖霊がそのことを教え、そのように生きる力を与えて下さる・・・、パウロはそう信じていたのです。