ピリピ教会にも、パウロが伝えた福音とは違った福音を持ち込もうとする人たちがいました。パウロはそのような人たちを「あの犬ども」「悪い働き人たち」と言います。主イエスを信じる信仰によって救われるのではなく、それプラス割礼や律法の行いが必要だとして、自分のわざを誇る人たちがいたのです。
確かにかつてはパウロは自分の行いを誇り、肉を頼みとして生きていました。しかし、パウロが主イエスに出会った時、それまで自慢していたすべてのものがとてもつまらないものに見えてきました。主イエスを知った時、益だと思っていたすべてのものを損だと思うようになりました。それらはみなゴミのようなもので、なぜ今まで、そんなにそれらを大事に思い、誇っていたのか、実に恥ずかしいことに思えるようになりました。絶大な価値を持っている主イエスに比べたら、今まで大切にし、握りしめ、かき集めていたものがいかに空しいものであるかがよく分かるようになったのです。