ガラテヤ3:19~22

しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。(22)

 律法を行うことによってではなく、約束を信じることによって救われるのであり、また律法よりもずっと前に約束が与えられていたとしたら、なぜ、後から律法が加えられる必要があったのでしょうか。律法自体はよいものであって、神の約束と相容れないものではありません。律法は神の御旨を表しています。しかし律法は私たちの歩むべき道を示しても、その道を歩む力を私たちに与えることはできません。律法によって明らかにされるのは、私たちのうちには律法に従って生きる力がないということです。律法が示されたことによって、私たちの罪が明確になったのです。
 そして、すべての人間が、イエス・キリストに対する信仰によって、このお方の真実を土台として救われるということが明らかになりました。だから、パウロは、まるで律法を行うことによって救われるかのように主張する人たちに対して激しく反対します。それが律法が与えられた目的ではなかったからです。