ガラテヤ3:1~5

十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。 ・・・御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。(1~3)

 ガラテヤ教会の人たちは、とても明確な新生経験をしました。主イエスを信じて彼らは新しい命を与えられ、彼らの生涯は全く新しくされました。彼らはなんとなく、気がついてみたら救われていたということではなく、はっきりした救いの経験をしました。パウロが十字架につけられたイエス・キリストを伝えてくれたとき、彼らはその十字架が自分の罪のためであることを認めて、主イエスを自分の救い主として信じたのです。彼らが救われたのは決して彼らが一生懸命律法を行ったからではありません。福音を聞いて信じたからです。そして彼らが信じた時に、神は彼らに御霊をくださったのです。彼らは確かに自分の罪が赦され、新しい命が与えられたことを確信しました。
 ところが御霊で始めたはずなのに、彼らはその信仰の歩みを自分の努力で積み上げ、自分の行いで全うしようとしていました。信仰により御霊によって始めたなら、信仰により御霊によって歩むべきです。