Ⅱコリント13:1~10

すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。(4)

 パウロがコリントを二度目に訪問した時(悲しみの訪問)、パウロは罪の中にことさらにとどまろうとする人たちに対してとても厳しい言葉で警告をしました。しかし、彼らはパウロの言葉を素直に受け止めようとするのではなく、かえって開き直り、パウロがキリストにあって語っているという証拠を求めたのでした。
 パウロのことをなめてかかり、パウロには力も権威もないとうそぶく人たちに、パウロは再びキリストの十字架を指し示します。十字架のキリストはとても弱く見えたことでしょう。しかし、そこに神の力があらわされていました。パウロも人々からは弱く見えたかもしれません。しかし、彼は神の力によってキリストとともに生き、キリストとともに語っていました。
 パウロが願っていたのはコリントのキリスト者たちが罪から離れてよいことを行うことでした。私たちはいつでも真理に従っているときにこそ、力をもって生きる事ができるからです。