Ⅱコリント11:7~11

わたしの内にあるキリストの真実にかけて言う、この誇がアカヤ地方で封じられるようなことは、決してない。なぜであるか。わたしがあなたがたを愛していないからか。それは、神がご存じである。(10~11)

 パウロはコリント宣教において、とても注意深く歩んでいました。アテネからコリントに入った時には、天幕造りの仕事をしながら、安息日毎に人々に語っていました。パウロのコリント滞在は1年半以上だったのですが、コリントの人たちから報酬を求めることはしませんでした。それは、生まれたばかりの教会に必要以上の重荷を負わせたくなかったということ以上に、コリントの町特有の問題があったからだったのでしょう。
 パウロは、コリントの町の異教のリーダーたちと一緒にされないように、注意深く歩んでいたものと考えられます。パウロは自分で仕事をしたり、また、マケドニヤ地方の信徒たちから送られた献金によって生活しました。貧しさの中に置かれたこともあったでしょう。けれども、パウロはコリントの信徒たちに対する愛のゆえに、彼らにつまづきを与えないようにしていました。そして、主に信頼し、お金にすがらない生き方をするということはパウロの誇りでもあったのです。