Ⅱコリント7:1

愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。 (1)

 旧約聖書においても、エジプトで奴隷であったイスラエルの民が、そこから救い出されたとき、神はそのイスラエルの民をご自身のもの、聖なる民とされました。ここで「聖」とはもともとは「分離」を意味する言葉で、聖なる民とは、取り分けられ、分離されたもの、ということを示しています。わたしたちは罪から分離され、神のために生きる者として取り分けられたのです。わたしたちは主イエスの十字架の血潮によってあがなわれ、神のものとされ、聖なる民とされました。聖なる民だから、聖なる歩みをするのです。
 それは、一方では罪から離れることです。「肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ」・・・コリント教会の人たちはかつては罪の中を歩み、汚れた生活をしていました。そして、それを何とも思っていませんでした。しかし、主を信じてからはそれが罪であり、汚れであることを知りました。だからそこからは離れるべきです。そして、「神をおそれて全く清く」生きるという新しい主にある歩みを始めるのです。