Ⅱコリント4:7~15

わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。・・・倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。(8~10)

 私たちは確かに土の器に過ぎません。私たちは時に、四方から患難を受け、途方に暮れ、迫害にあい、倒されてしまいます。しかし、そのような弱く、もろい器の中に、神はすばらしい宝を与えてくださっています。そこから測り知れない神の力があふれ出ていきます。器がすばらしいのではありません。器の中にある宝がすばらしいのです。ですから、私たちは、窮しませんし、行き詰まりませんし、見捨てられませんし、滅びることはありません。
 いつもイエスの死を身に負っています。主イエスが十字架に死なれたように、多くの痛みや困難、そして絶望しても仕方がないような状況の中に置かれることがあるかもしれません。しかし、私たちは同時に、よみがえられたイエスのいのちをいただいています。そのよみがえりのいのちが私たちの死ぬべき肉体のうちに働いているのです。そして私たちは喜びのうちにやがて主の御前に立つのです。