Ⅰコリント13:1~3

もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じ・・・もし愛がなければ、わたしは無に等しい・・・もし愛がなければ、いっさいは無益・・・。 (1~3)

 コリントの教会では霊の賜物のことについての混乱が起きていました。賜物はまさに神から賜ったものであるのに、自分の功績でそれを獲得したかのようにそれを誇り、また人々を見下げる人たちがいました。その結果、神からいただいたすばらしい賜物がかえって教会に混乱をもたらしてしまうということが起こったのです。
 何かすばらしい才能を持っている、与えられているということは、神の祝福を得る保証にはなりません。どんなに立派なことを語り、また霊の言葉を語ることができても、すばらしい知識や信仰を持っていたとしても、またどれほどの犠牲と献身をささげていたとしても、それがかえって、人々が神に向き合うことの邪魔になってしまうことがあります。
 ここでパウロは鍵は「愛」だと言います。そして、愛もまた、私たちの内から生じるものではなく、神によって上から与えられる賜物です。ですから私たちは皆、この愛の賜物を神に求めたいと思います。