Ⅰコリント12:1~3

聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。(3)

 私たちは主を信じて救われました。しかし、私たちが人間の力と知恵で、十字架・復活の主イエスを信じることはできません。それはあまりにも深く、私たちには理解することができず、かえって愚かにさえ映るのです。けれども聖霊が私たちの心に働いてくださるときに、私たちは主イエスが自分の救い主であることを認めることができるようになります。ですから、私たちは主を信じたということをまるで自分の功績や知恵であるかのように誇ることはできません。私たちが「イエスが主である」という告白に導かれたのはまさに聖霊の働きによるのです。
 パウロの時代には、この「イエスは主である」という告白はまた違った意味をも持っていました。それはローマ皇帝が自分を「主」と呼んでいたからです。ですから、イエスを主とする告白は時に命がけだったのです。それは、まさに聖霊の御業でした。
 そして主を告白する者たちのうちに働く聖霊は、信じる一人一人に賜物を与えてくださいます。パウロはここから霊の賜物について書きます。それは時に、賜物の問題が教会に混乱を引き起こすことがあったからです。