Ⅰコリント11:1~16

ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである。(11~12)

 次にパウロは男と女のあり方について論じています。この時代、たとえば神に近づいて礼拝をささげる時に、女性はかぶり物をつけましたが、男性はつけませんでした。女性は髪を長くしましたが、男性が髪を長くすることは恥ずかしいことと考えられていました。
 このようなパウロの言葉に基づいて、カトリック教会では女性は礼拝をするときに、頭にかぶり物をします。ただ、プロテスタント教会では、この聖書の箇所はその時代の中で、習慣に従い、秩序を守るために、このような勧めをしていると考え、文字通りにかぶり物をすることはしません。こ今の時代の日本という文脈の中では具体的なあり方は違ってくるからです。
 ですから女性はかぶり物をと言っているパウロも、主にあっては男も女もない、どちらが偉いとかすぐれているとかでもない、と明言します。男も女も共に神から出ており、お互いに他者を必要としているのです。