Ⅰコリント9:15~18

わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。・・・それは、わたしにゆだねられた務なのである。(16~17)

 パウロは福音を宣べ伝える者たちが福音によって生活することを当然の権利とします。しかし、パウロはその権利を利用しませんでした。それは、パウロが自分の生活のために宣教者として生きていたのではないからです。特に、コリントで働きを始めた時、パウロがお金ほしさに伝道し、人々を集め、献金を募っているのだと誤解されないようにとても気をつけていたのだと思います。
 パウロは「自分は福音を宣べ伝えている」と、それを誇りとし、人々の賞賛を得ようとしていたわけではありませんでした。それはパウロが自慢している何かではなく、神から自分にゆだねられた務めだったのです。逆に、もし、パウロは、もし自分が福音を宣べ伝えないとしたら、自分は災いだとさえ言います。神は私たちにも福音を伝えるというこのすばらしい務めを委ねてくださっているのです。