Ⅰコリント4:1~5

このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。(1~2)

 教会に分裂を引き起こし、自分が教会の中で主導権を取ろうとしている人たちは、自分の意見・立場を正当化するために、有名な教会の指導者たちの名前を利用しました。そして、自分が持ち上げる指導者以外の人たちについてはあることないこと、いろいろな批判をしました。実際、パウロもいろいろな批判を浴びせられていました。
 しかし、パウロは自分は、神の奥義を管理している者であり、自分は与えられた使命に対して忠実であることを求められていると言います。パウロはまさに忠実な者でした。神の前に忠実でした。そして、人にどのように言われ、どのように批判されても、それで振り回されることはありませんでした。彼にとっては、自分が主の御前にどのようにあるかということが大事でした。そして、人にどのように見られ、どのように批判され、どのようにほめられるかではなく、やがて主の御前に立つ時にいただく、神のほまれだけを求めて歩んでいたのでした。