実はパウロはコリントを初めて訪ねた時、その前にアテネで宣教にあたっていました。アテネは良く知られた知恵の都です。パウロは人々に求められて、知恵を尽くして福音を語ろうとしました。しかし、アテネの人たちはあまり心を開こうとしませんでした。パウロは、失意の中でコリントに到着します。「弱くかつ恐れ、ひどく不安であった」というのはそのような事情があったからだろうとされています。そこで、パウロはコリントに着いた時に、ひとつの決断、方針転換をします。自分はすぐれた言葉や知恵を用いるのではなく、ただ十字架につけられた救い主イエス・キリストを宣べ伝える、ということでした。確かに十字架はユダヤ人にもギリシヤ人にも受けが悪く、人気がないメッセージだったかもしれません。しかし、十字架のメッセージにこだわることによって、神の力が働くのをパウロ自身も経験していったのでした。