ローマ15:1~6

わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。(1)

 パウロは、何を食べるかで魂が汚れることはない、と信じていました。そもそもその当時、偶像に供えていない、偶像の宮で祈祷を受けていない肉を市場で買い求めることは町によってはほぼ不可能だったでしょう。偶像の宮にささげた肉は食べない、と言ってしまったら、異教徒の町では、基本肉は食べられなくなってしまったでしょう。しかし、この肉は偶像にささげたもので、これを食べたら、神を悲しませてしまうと悩み、不安に思う人たちもいたのです。パウロはこの場合には、偶像の宮にささげた肉をたべることも気にならない人を「強い人」、それがとても不安に思えてしまう人を「弱い人」と言いました。考え方が違う場合には、お互いに受け入れ合うことが大切です。しかし、どちらが譲るかということになった時には、パウロは強い者が強くない者の弱さをになうべきだと言います。私たちは隣り人の益を図り、人々を喜ばせるような生き方をします。それが主イエスの生き方でもあったのです。