ローマ10:1~4

兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。(1)

パウロは深い心の痛みを覚えてこのところを書いています。パウロもイスラエル人です。そして律法に対して熱心に生きてきました。彼は、自分の義を自分の力で立てようとして、教会を熱心に迫害していました。そして、それこそが神の喜ばれること、神に従うことだと信じて疑いませんでした。だから今も、そのような生き方を続けている同胞のことをパウロは忘れることができません。彼らの救いのことをいつも思い、願い、祈っていたのです。
 パウロはイスラエル人たちが熱心であることは知っていました。しかし、彼らは自分の義を立てようと努力し、神が無代価で与えてくださる義を信仰をもって受け取ろうとしませんでした。人間の修養・努力では私たちは決して義とされることはありません。人となってこの世に来てくださった神の子キリストだけが律法を全うし、彼を信じるすべての者に、神の義を得させてくださるのです。