ローマ7:14~25

わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。(19~20) 

 パウロは「わたしの欲している善はしないで、欲していない罪はこれを行っている」「善をしようとする意志は、自分にはあるが、それをする力がない」と言います。このパウロの経験がパウロの回心前のユダヤ教の下での経験か、または回心後の経験か、ということがよく議論されたりします。パウロは主イエスに出会う前には「自分は律法の義については落ち度がない者だった」とさえ言います。その意味では、パウロがこのような自分の中にある罪の性質について語るのは、おそらく、彼が主イエスと出会ってからの経験と言うことができるでしょう。パウロはここで自分が犯した個々の具体的な罪というだけでなく、自分の中に入り込んでいる「罪の法則」「わたしのうちに宿っている罪」を問題にします。彼は確かに律法を行い、真面目に生きていたでしょう。しかし、パウロは、そんな自分の中にある「罪の性質」に直面させられ、「なんというみじめな人間だろう」と叫ぶのです。