ローマ3:1~4

では、ユダヤ人のすぐれている点は何か。また割礼の益は何か。それは、いろいろの点で数多くある。まず第一に、神の言が彼らにゆだねられたことである。(1~2)

 律法を知っていてもいなくても、律法に教えられたところを行う人もいるし、行わない人もいる。割礼を受けて、神に選ばれた者・ユダヤ人としてのしるしを身に帯びていることよりも「心の割礼」を受けていることが大切なのだ、ということになり、異邦人もユダヤ人も同じように罪人であり、同じように義とされるのであれば、ユダヤ人であるということにどういう意味があるのでしょうか。律法を与えられたということ、割礼を受けるようにと命じられ、そのようにしているということにどのような意味があるのでしょうか。
 ユダヤ人であるということは大きな祝福です。それは神の言が彼らに与えられ、ゆだねられたということです。私たちがこうして御言を与えられ、御言を読み、御言に従う者とされているということはとても大きな祝福なのです。もちろん、読んでいるだけでは何にもならないというのもそうでしょう。読んで従うことが大切です。確かに御言を与えられた私たちの側は不真実な点だらけです。けれども、語られた神はどこまでも真実なのです。